青春バイオレンス映画を見てみた。

Amazonは便利だ。何かを買うとき、まずAmazonをチェックする人は多いのではないか。本や日用品だけでなく、肉・魚・野菜などの生鮮食品もAmazonで手に入る。商品が届くのも早い。早ければその日のうちに届くこともある。三越伊勢丹マツモトキヨシの商品も取り扱うと聞いた。デパートや薬局でしか買えなかったものもAmazonで買えるようになるのだろう。自前で巨大な倉庫を建設し、クロネコヤマトや佐川急便のような自前の宅配システムを構築しつつあるAmazon。将来的には蜂の巣のようなドローン基地を都市部に建設し、超高速配達を目指しているという。最近、アメリカでAmazonによる高級スーパーの大型買収も話題になった。目的の一つは、スーパーマーケット自体をAmazonの生鮮食品の倉庫として手っ取り早く活用するためだといわれる。Amazonでパンとか牛乳とか買って、近所のスーパーやコンビニから配達される。日本でもそんな日がくるのだろうか。全世界の小売業界は間もなくAmazonに掌握されてしまうのかもしれない。このまま物を売る仕組みを掌握されれてしまうと、あとに残される仕事は下請け仕事だけだ。便利にはなったが日本人全体にとってはいいことなのだろうか。

前置きが長くなった。Amazonプライムで映画をみた。『ディストラクション・ベイビーズ』という映画だ。新世代青春バイオレンス映画という表現がしっくりくる。愛媛県の松山が舞台で若者が通行人にひたすら殴りかかる映画だ。音楽などは最初と最後くらいしか流れず、ひたすらベチとかバチという鈍い音をだしながら生々しい殴りあいが繰り返される。そのような暴力を働く理由や背景は一切説明されない。刹那的で突発的な暴力があるだけだ。

通常、突然知らない人を殴ったり、物を盗んだりといったことを人はしない。なぜしないのか。それは文化的・社会的に禁止されているからだ。なぜ禁止されているのだろうか。一つの仮説として、そういった行為が人間の原始的な欲求であり、禁止をしないとそこら中で殴り合いや盗みが横行してしまうというのが考えられる。だからこそ強い禁忌となっているのだろう。

映画の中では暴力をふるう理由や背景などは説明されない。暴力が人間の原始的な欲求であるのならば、そうした説明は不要なのだろう。ありのままの暴力が描かれる。そしてそのこと自体が人間の理性や思考をこえた欲求をみたす働きをする。『ディストラクション・ベイビーズ』をみてそんなことを考えた。

ひたすら理不尽な暴力が続くので人によっては不愉快に感じる人もいるだろう。またバイオレンス映画が苦手な人はみないほうがいいだろう。

ならず者が活躍する映画をみてみた。

我ながら地味な人生だと思う。典型的なサラリーマンだ。ギラギラした欲望や夢があるわけでもなく、大禍なく過ごすことを第一の信条にしている。そのためなのか昔からならず者が活躍する映画が好きだ。『ゴッドファーザー』や『グッドフェローズ』も好きだったし、HuluやNetflixを観るようになってからはアメリカのドラマ、『ソプラノズ』(マフィアのボスが家族や組織の問題で悩み精神科に通う話)や『ブレーキング・バッド』(まじめな高校の化学教師が覚せい剤を密造して教え子と売るけどうまくいかない話)などもよくみた。

自分でも何故かと思うほど現実世界では絶対に友達になれないだろう人たちが活躍する作品がすきだ。自分にないものを持つ人たちを無意識のうちに魅力的に感じているのかもしれない。現実世界で、ならず者の人たちは逆に平凡な人生を描いた作品に興味をもったりするのだろうか。

Netflixで『凶気の桜』、『ポルノスター』、『ナイン・ソウルズ』を立て続けにみた。『凶気の桜』は、変わっていく世の中に対する苛立ちを不良少年狩りという形で発散する歪んだ思想の若者とその仲間たちが、悪い大人たちに騙され自滅していく話だ。『ポルノスター』と『ナイン・ソウルズ』は私の好きな豊田利晃監督の作品で、どちらも真正の悪党たちが、自分たちの理屈で悩んだり喧嘩をしたりしながら破滅に向かって突き進むダークな青春ドラマだ。

どの作品も殴り合ったら友達みたいな要素はなく、ひたすら陰鬱で自らが抱える問題をそれぞれが破滅するような方法で解決しようとする。言葉にすると月並みだ。月並みだが、実際には夢中になって映画をみた。こうした映画をみると人間には生来の暴力や破滅への衝動があるのかもしれない、と思うことがある。暴力や破滅とは対極にあるようにみえる普通のサラリーマンの心も打つのだから。

 

『ドキュメント 会計監査12か月』を読んでみた。

衝動的に本を購入することがある。ふらっと入った本屋やインターネットで何気なくみつけた本などだ。購入するときは気持ちが高ぶっており、いきおいで購入してしまう。購入してしまうが、日常生活に埋没しているうちに手に取らなくなり、本棚や机の隅に長いときは数年ものあいだ埋もれることになる。

『ドキュメント 会計監査12か月』という本が長いあいだ家の本棚にはいっていた。USCPAのAuitの科目を勉強していた頃、会計監査に関する本を読み漁った。そのときに購入したものだ。本棚にあるこの本がときおりちらちらと目にはいり気になってはいたが、どうにも読む気がおきなかった。勉強していたころは監査の概要やポイントが書いてある解説書のようなものを探していたため求めていた情報と異なっていたからだ。

試験も終わり好きな本を好きなだけ読めるようになった。久しぶりに本棚を隅から隅まで整理し『ドキュメント 会計監査12か月』を手にとった。会計や監査についての解説本や小説風の本はたくさんある。が、等身大の会計監査人がドキュメント風に心情を吐露しながら日常業務について語る本はこの本以外にはないのではないか。内容自体はフィクションなのだろうが、他のストーリー形式の会計や監査の本と比べると突出して地味に生々しく監査法人勤務の会計士の日常を描いている。

会計士の資格自体は有名だが、監査を行う会計士の日常を描いている本は皆無だ。内容が専門的でとっつきにくいのと、走ったり怒鳴ったりといったアクションがなく、数字の妥当性や基準の適用についてお客さんとやりとりをするという地味な作業が多いからだろう。大げさなアクションや悪と戦うといったわかりやすい設定はない。ないが、将棋や囲碁のようにその道の専門家ならでは理解できる奥深さや楽しさがあるのだと思う。そうしたありのままの面白さを変にストーリー仕立てでわかりやすくせずに伝えようとしているように感じた。

正直、会計や監査に興味がない人が読んでも面白いと思わないと思う。ただ少しでも興味がある人にはどんな本よりも面白く感じる本だと思った。

 

 

 

正規表現を使ってみた

例えば下記のようなサンプルコードがあったとする。これをそのままクエリとして実行しようとすると、■で始まる文章が邪魔になる。

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■リスト2.1 SELECTでテーブルの中身をすべて選択する
SELECT name, phone_nbr, address, sex, age
  FROM Address;

■リスト2.2 WHERE句で検索する内容を絞り込む
SELECT name, address
  FROM Address
 WHERE address = '千葉県';
■リスト2.3 年齢が30歳以上
SELECT name, age
  FROM Address
 WHERE age >= 30;
------------------------------------------------------------------------------------------
1つや2つえあれば手で消すなり、/**/でコメントアウトすればいい。が、たくさんあるとそれなりに面倒だ。このためだけにスクリプトを書くのも何か違う気がする。しばらく地団太を踏んでいたところ、正規表現について思い出した。正直、*や$しか使ったことがないが結構複雑な置換や検索にも使えると聞いていたので試してみた。
 
サクラエディタを使ったところ、以下の条件設定で■の行をすべて/**/でコメントアウトできた。(.*)と$1が正規表現部分だ。
 

f:id:chamotte:20170702223205p:plain

.が一文字、*が繰り返し、()で囲むとグループになり、$1は一番最初の()を指す。正直ややこしい。ただエディタなどである程度規則性のある検索や置換ができるのはとても便利だとおもった。

『日本の税金(新版)』を読んでみて

電車や横断歩道の待ち時間などちょっとした空き時間がある。そういうときiPhoneにいれたKindleで文庫や新書を読むのが習慣になっている。細切れの時間なのですこし考え込むようなものは読めない。が、ちょっとした小説やビジネス書を読むのには最適な時間だ。

US CPAの勉強をして以来、会計や税金に興味がわくようになった。そのせいか本屋やAmazonで最近はやたらと会計や財務の本が気になる。数年前までは目にも留めなかった本ばかりだ。たとえ視界に入っても自分の興味のあるもしか見えないというのは本当だと思う。

Amazonで『日本の税金』(岩波新書)という本を見つけ読んでみた。所得税法人税、消費税、相続税などが簡潔に説明されていて面白かった。各税が課される根拠を説明しつつ著者の思いも述べられている。いままで税金というものは問答無用で取り立てられる年貢のようなイメージだった。日本人である以上のがれらないルール。本当は払いたくないが払わないといけない厄介なもの。そのため税金や税に関するものは嫌なもの忌み嫌うものという感覚だった。この本ではそうではないというメッセージが全体と通して込められている。税はお上に取り立てられるものではない。主権者である国民が理想の社会を実現するために支払い能力に応じて主体的に分担するものであり、むしろ積極的に関わっていくものというメッセージだ。国民によって国や地方自治体に税金が預けられ、国民が選択した代表者がその理念に基いて執行する。それは何かこうアンタッチャブルな消極的に徴収されるものではない。よく考えると税というのはそれこそ毎日のように身の回りで発生している。自販機でジュースを買っても、電車に乗っても、住む場所にだって税はかかる。にもかかわらず、私もそうだが税金の仕組みについてよく知っている人は少ない。わけもわからないまま知らないうちにとられている。しかもその使い道はよくわかない。税金を徴収する側にとってはとても都合のいい制度だ。今後、人口構造の変化などを受け日本の社会保障制度やさまざまな仕組みは正念場を迎えるといわれている。税金が減ったとか増えたとかいう話に終始するのではなく、収めた税金がどのように利用されているのかが重要になってくるのだろう。増税が社会全体にとって必要なことに拠出されるのであればそれなりに意味もある。わけもわからず減税し、治安が悪くなったり街が汚くなったり十分な行政サービスが受けられなくなれば、個々人の手元に残るお金は増えるだろうが、それは住みやすさや社会の健全性を犠牲にしたものだ。それでいいのだろうか。増税した場合もわけのわからない人たちがわけのわからないことに浪費するのであれば最悪だ。いづれにしろそうしたことを国民が監視するために選挙制度で代表者を選ぶわけで、選挙で投票するというのは思った以上に大事なことなのかもしれない。

税金もそうだが、選挙制度や国家の仕組みなど、お上の権力にかかわるようなものについては十分な教育を受けた記憶がない。小学生や中学生の段階で税金の目的や選挙制度、国民の主権についてもっとまじめに教える必要があるような気もする。結局お金をとられるのも、変な政策で苦しむのも自分たち自身なのだから。もし意図的にそうした情報に対して国民を無関心にしようとしているのならば質が悪い。そうでないことを祈る。

あと興味深かったのが地球レベルでの税の話だ。日本国民の税金の支払いを規定する日本の法律は当然ながら日本でしか効力をもたない。だが人や物は国境をやすやすと越えて行き来する。そうなるとより高い税金を課される場所から企業や個人が逃げ、より安い税金のところに集まるようになる。個人や企業レベルではいかに資産や利益を最大化するかを考えればいいのだろう。ただ、国家レベルでは資産や利益を最大にすることが目的ではなく、国民の生活の安全や幸福をどう実現するかが課題となる。日本人や日本の企業が個々の利益を優先し、違う国に税金を払い始めたらどうなるだろう。もはや国はなりたたず、国家そのものが消滅するかもしれない。それはそれで地球連邦のような大きな枠組みで税を考えるようになり、地球全体の安全や幸福を考えるようになるのだろうか。そうなると日本のような小さな国はどういう扱いになってしまうのだろう。税というものが国家レベルのみならず地球規模でも考える必要があるものという点もよくわかった。

型 DT_DATEおよびDT_DBTIMESTAMPの間での変換がサポートされていない・・・

MicrosoftSSISを使ってExcelファイルを取り込もうとしたら、「型 DT_DATEおよびDT_DBTIMESTAMPの間での変換がサポートされていないため、列"Report Date"を挿入できません。」というエラーが発生。

f:id:chamotte:20170623225909p:plain

結論としては派生列を使って列を変換しないといけないみたい。英語になってしまうが下記の方の説明が役に立った。MSへの皮肉もこめられていて面白い。

http://www.dominicbordelon.com/2015/05/04/ssis-tip-converting-datetime/

この手のIT系の情報は日本語よりも英語で検索したほうが求めている情報にたどり着くのが速いきがする。最近、ますますそうなってきているのは気のせいだろうか。

無題

ときどきどうしようもなく体がだるくなることがある。起き上がることすら億劫に感じ、寝ているような起きているような半覚醒した状態で5時間も6時間も横になる。時間がもったいないという焦りは感じるが、とにかく何もしたくない。夕方ごろにのっそりとおきあがるが時間を無駄にしたというような後悔の念しか浮かばない。社会人になってからはだいぶ頻度が減ったが、それでも2~3か月に一度、なにもない土曜日や日曜日などに発生する。

働いていると人間の悪意やネガティブな感情に接することがよくある。知らないことをわかっていて聞いてくる、できないことがわかっていて依頼してくる、必要な情報をつたえない、無視をする、人前で小馬鹿にするなどだ。そうしたとき人間の底意地の悪さというものを感じ絶望的な気分になる。立ちすくむ。正直いまだにこの世の中の底意地の悪さの底がわからない。

2人以上人が集まると無意識のうちに比較がはじまる。暗黙の序列のようなものが発生し、そういったものに敏感な人は何とかして自分が優位に立とうとする。立とうとするが、しかし比較する基準(資産、学歴、容姿など)はそれこそ無限にあるわけでその競争にはきりがない。自分が他者より優れていると感じるところは強調し、他者のほうが優れていると感じるところは相手を貶める。延々とそれが繰り返される。大昔や原始的な集団であれば決闘といったより直接的な対決となるのだろう。が、学校や職場などではそうしたことは社会通念上許されていないため、よりオブラートに包んだ争いになる。より抽象的なレベルでのいがみ合い言い争い。そうした争いに熱意をもって取り組めるひとがうらやましい。面倒くさくなってしまうからだ。

自分も他者の中に自分より優れたものをみると嫉妬や悪意などが芽生えることがある。そうした感情を自分の中にみつけると心底嫌になり、人との関係をもつことが億劫になる。本来であればそうした感情を原動力として追いつこうと努力するのがあるべき姿なのだろう。なのだろうが、そうした競争が面倒だ。

お互いに意識しあいながらそうしたものは微塵も感じさせずに仲良さそうにふるまっている(少なくともそのようにみえる)人たちがいる。お互いの腹の底にはいっさい触れず、その場その場の状況で人との距離感を適度にとり笑顔と軽やかな話題で場をつなぐ。そういったことが自分にはできない。なにかこう演技をしているような気がして、ぎこちなくなってしまうからだ。左手で握手をしながら右手で殴り合う。そういう器用さが生きていく上では必要なのだろうか。