『SE職場の真実 どんづまりから見上げた空』を読んでみた。

やっと夜中に目が覚めなくなった。普段意識していないが、ぐっすり寝れるというのはそれだけで貴重なことだ。胸のあたりのもやもやがなくなり、気分が楽になってきた。特に思い当たる節はないが、知らず知らずのうちに疲れていたのだろう。2週間も気分が晴れないのはずいぶん久しぶりだ。

この2週間、とにかく心を楽にすることに努めた。いつも通勤電車で本を読んでいたが、なにも読まないようにした。職場ではなるべく人と話し、家ではビールを飲みながら小説や漫画を読んで寝た。そうすると徐々に徐々に気持ちが晴れてきた。

文学(なんとなく村上春樹)や仏教(般若心経とか)など、心の回復に効きそうな本をひたすら読んだ。こういう状態のときはITや統計、数学といった本を読んでも全然内容が理解できない。それどころか状態がより悪化する。映画をみたり、小説を読んだり、音楽を聴いたり、そういうほうが気分が楽になる。芸術というのは、こういう時のためにあるんだなと身に染みた。たくさんの物に囲まれ、人工的につくられた社会のルールや規範にどっぷりと浸かって生きていても、心のどこかはそれだけでは生きていけないようになっているのかもしれない。

 落ち込んでいた間、夢中になって読んだ本がある。『SE職場の真実 どんづまりから見上げた空』という本だ。タイトルが少し安っぽくなっているのが残念だが、ITの最前線の現場で働くエンジニアのリアルな心情を描いていてとても面白かった。技術や働き方の技法を扱ったIT関連の本はたくさんあるが、働くプログラマシステムエンジニアの心情を描いた本はほとんどないのではないだろうか。ソフトハウスからユーザー企業エンジニアという著者と似たような経歴を歩んできたせいか一つひとつのエピソードが心に沁みた。

「どうしても現場のほうに足が向かない」、「電車に乗ろうとすると気持ち悪くなるんだよ」といって現場からいなくなったリーダー。できないこともできますと書かれた職務経歴書で放り込まれた現場で、ある朝、体が鉛のように重く起き上がれなくなる私。引きこもりの状態となって連絡がとれなくなったかつての同僚。読んでいるうちに昔のことを思い出して涙がでそうになった。そういえば昔は、毎日、今よりも気分がふさぎ込んでいたな。辛かったなあ。どうやって乗り切っていたのだろう、などと考えているうちに不思議と少しづつ気分が楽になってきた。具体的な解決策や結論を導くようなものではなくとも、何かに共感するということ自体が傷ついた心を回復させることがあるのだなあと実感した。

八方塞がり

ここ数日息苦しい。なにか重しのようなものが胸の真ん中におかれているような気分だ。夜中に急に目が覚める。ぐっすり眠れない。やることはたくさんあるが何もしたくない。こういうときはじっとして嵐がすぎるのを待つのが一番だ。2~3日、長くても1週間もすれば嵐はすぎる。歩いたり走ったり体を動かすのも効果的だ。

とにかく最近仕事がつまらない。気分がふさぎ込み、他人に不寛容になる。まわりから孤立し息が苦しくなる。つまらない仕事でも生活のためにはやるしかない。歯を食いしばって前向きになろうするが徐々に気持ちは暗くなる。40代以降、他の人たちはどうやってモチベーションを保っているのだろうか。

日々の雑務におわれ、真綿で首をしめるように未来の選択肢は徐々に狭まっていく。これからどうやって生きていこうか。そんことばかり考える。職場で働いている同僚たちも笑顔の裏には同じような思いを抱えているのかもしれない。

仕事を変えると何か変わるのだろうか。おそらく根っこの考え方・物事の捉え方がかわらないと仕事に慣れたころに同じ問題に直面するだろう。仕事以外に生きがいをみつけたいが、そう簡単には見つかりそうもない。八方塞がりだ。

もう朝か。今日も寝れなかった。なんとなくかけたレディオヘッドトム・ヨークの歌声が心にしみるなあ。Last Flowersって名曲だな。

 

世界の回し方

正月が苦手だ。時間はいっぱいあるが有意義に利用できた試しがない。食べて寝て、ときどき漫画や映画をみて、家族とすこし出かける。それだけで1週間がたってしまう。読もうとしていた本も読み終わってないし、やろうとしていたこともできていない。やっぱり仕事がないとダメだと痛感する。

 最近、世界の回し方についてよく考える。石塚真一さんの『BLUE GIANT』の続編『BLUE GIANT SUPREME』の2巻目に、こんな話がある。大学に入ったばかりの学生がヨーロッパを旅行をする。ユースホステルを泊まり歩く貧乏旅行だ。ある時、ロンドンのユースホステルで奇妙なジョージア人に学生は遭遇する。ユースホステルの玄関先の喫煙所に学生が行くと、必ず現れる。いついっても絶対に現れる。そしてタバコを1本くれないかと聞いてくる。ケチで妙なやつだと思いつつも学生はタバコをあげていた。ある晩、真夜中に眠れず、学生はタバコを吸いに外へでる。そのとき、急な腹痛、とてつもない腹痛に襲われ学生はうずくまる。例のジョージア人が現れ、学生の異変に気が付いた彼は、耳が壊れそうな大声で「誰か助けてくれ!」と何度も何度も叫び続ける。そのおかげか、学生は病院に運ばれ、2日後に無事退院する。ユースホステルに戻り、学生が喫煙所にいくと、いつものようにジョージア人が現れる。学生が礼をいい、タバコを一箱丸ごと渡そうとすると、彼はそこから1本だけタバコを抜いて「ありがとう」という。その時、学生は思う。世界はこうやって回っているんだ。こう回さなきゃいけないんだと。

 怒りや嫉妬、憎しみではなく、さりげない親切、思いやりや気遣い、そうしたものが中心となって世界は回さなきゃいけない。最近本当にそう思う。仕事の回し方にもいろいろあると思う。きつい言葉で怒りをぶつけ、お金や地位で嫉妬心をあおり、競争相手に憎しみに近い感情を抱きつつ進める方法もあれば、お互いに融通しあい、感謝しあい気遣いながら進める方法もあるだろう。どのような回し方でも、仕事は回るのだと思う。回るのだと思うが、どちらの世界で働きたいだろうか。これはどういう風に回っているかというよりも、個々人がどういうふうに回しているか、回そうとしているかという問題だと思う。忙しいときや心が荒んでいるとき、ついつい怒りを軸にして仕事をしてしまうことがある。怒りによって世界を回すと、怒りが怒りをよび、そのような力で世界がまわってしまう。非力ではあるけれども、自分はそうならないように世界をまわしていきたいと思った。

ここまで書いていて、もともとは2018年の抱負を考えようとしていたことを思い出した。テクノロジーの現実世界への影響力がどんどんを大きくなっている。ロボティクス、ディープラーニングブロックチェーンなどの技術が今年も大きなインパクトを社会に与え続けるだろう。一介のエンジニアとして、自分が働いている組織にそれらのテクノロジーが与えるインパクトを見極め、率先して取り込んでいきたいという目標はあったりする。ロボティクスやディープラーニングが普及すれば、定型的な業務は機械にまかせ、人間はより創造性のある業務に従事することが可能になる。ブロックチェーンなどの技術が普及すれば、ものの存在や何かの情報を保証するための業務というものから人間は解放されるだろう。今年はそういったテクノロジーを理解し、現実の業務に適応していくことで自らの血肉としていきたい。

また最新のテクノロジーを理解するうえで、数学と統計学の知識不足を痛感する。今年はそのあたりの知識の強化も一つの目標としようかな。

 

『東大卒貧困ワーカー』(新潮新書)を読んでみて。

ときどき頭痛がすることがある。目の奥がずきずきと痛む。激しい痛みではなく、鈍い痛みだ。仕事には集中できず、本を読むと頭痛がひどくなる。なにもできず、ただ時間が過ぎるのをまつ。頭痛薬は痛みを軽減するが、体がだるく頭がぼーとするようになる。ただ時間がすぎるのをまつ。それが地味につらい。

『東大卒貧困ワーカー』(新潮新書)を読んだ。Amazonで最初に見つけたとき、タイトルから興味本位な露悪的なものを感じ、最初は読むのを躊躇した。躊躇したが、サンプルを10ページほど読んだあと最後まで読みたくなった。東京大学を卒業し、アナウンサーとして活躍されていた著者が、身内の介護のために会社を退職。介護がひと段落した後、社会に復帰しようとした際に直面したさまざまな辛酸を、著者が調査・見聞きした事例をまじえ解説している。一言でいってショッキングだった。介護や病気、リストラなどで会社をやめ、新たな職を探すということは普通にありうる。そうしたときに身に降りかかる苦難は想像はできた。できたが、労働市場における中高年の扱いがこれほどまでに苛烈なものであるとは思っていなかった。年をとればとるほど、学歴や前職での経歴、肩書は通用しなくなり、最低賃金以下の待遇で単純作業を強いられる。労働市場には暗黙の了解として年齢による差別は存在し、中高年は中高年という理由により差別的な扱いをうける。作業時間はストップウォッチではかられ、少しでももたつくと子供ほども年齢のはなれた若者に「こいつ、使えないなあ」などといわれたり、娘のような作業監督者に嫌味を言われたりする。そこまでして働いても交通費などを差し引いて手にできる賃金は1時間あたり800円とか900円だ。

 ひるがえって自分のことを考えてみる。自分ももう中年だ。なんらかの事情で会社を辞めた場合、同じような境遇になるだろう。人は年齢とともに体も弱り、病気にもなりやすくなる。親族の介護や子供の教育費、家のローンなどしがらみも増える。記憶力や頭の回転も悪くなるだろう。そうした肉体的・社会的なハンデが増えるにつれ、社会からのサポートが増えるのではなく、逆に社会からの風当たりが強くなる。なんとも空恐ろしい事実だ。このような仕組みであれば経験豊富な中高年ほど、現在の職場に長くしがみつこうとするだろう。ポジションの確保という会社にとって何の生産性もない活動にベテラン社員の注力がそそがれ、転職はリスクが高すぎてできない。無駄な仕事は増え、人材は流動化せず、非正規社員は差別されたまま。若者は希望をなくし国の活力はなくなっていく。負のスパイラルだ。このような状態では同一労働同一賃金、働き方改革などは不可能だ。

中高年が差別される → 会社にしがみつく → 非正規雇用・非生産的な職場が増える → 若者がやる気をなくす → 職場に活力がなくなり新しいアイデアがでない → よその国で生まれた革新的な技術にプラットフォームを握られる → よその国の下請け仕事が増える → 国力がなくなり国全体が貧しくなる → 低賃金のきつい仕事が非正規や中高年に押し付けられる  → ますます中高年が差別される 

現在、このような負のスパイラルがぐるぐるまわっているのではないだろうか。この流れを断ち切るには、本書でも触れていたが、日本人の性質を変える必要があるのかもしれない。過剰品質、過剰なおもてなしをやめ、本当に付加価値のあるものに日本人全体の労働力を振り向ける。24時間、コンビニやレストランを開けておく必要はない。注文をしても即日配達する必要もない。お客様は神様ではなく、支払う対価に見合ったサービスを提供すればいい。過剰なおもてなしに神経をすり減らす必要はない。そうしてできた時間を新しい働き方を創造する時間に振り向ける。

新しい働き方は、技術革新とセットで考える必要があると思う。コンビニやレストランを24時間営業する必要があるのであればロボットによる無人店舗でやればいい。即日配達が必要なものはドローンや自動運転車が配達すればいい。毎朝満員電車に乗るのではなく家で働けるようにすればいい。人間は、そのような社会を構築することに当面集中する。ロボットや機械に指示をだすのに年齢はあまり関係ない、家で働ければ女性も今より働きやすくなる。生産される価値は変わらないか今より増えるが、労働時間は減り支払われる対価は増える。そんな社会を目指せばいいと思う。

『仕事消滅』(講談社)を読んでみた。

いつの頃からだろう。家にいるとき、簡単な計算やタイマーの設定はiPhoneのSiriに頼むようになった。電卓をたたくよりも、目覚ましのタイマーの設定をするよりも、Siriに話しかけて依頼するほうが楽だからだ。私の声は聞き取りにくいとよく言われるが、そんな私の声でささやいても十分な精度で認識してくれる。最近ではMicrosoft音声認識が人間と同等の認識率になったとの話も聞く。 

IBMのWatoson、AmazonのAlexa、GoogleGoogle Now、MicrosoftのCortana、これらのバーチャルアシスタント(AI)とよばれるものが、スマホや家電に搭載され非常に身近になりつつある。人間と違い、スマホや家電に限らずありとあらゆる乗り物・機械に搭載可能なわけでその影響力は計り知れない。

『仕事消滅 AI時代を生き抜くために、いま私たちにできること』(講談社)では、AIによるイノベーションが多くの職場から仕事を奪い、大きな政治・経済・社会問題になるであろう未来を予想している。単純労働だけでなく頭脳労働もAIにとってかわられ、人間はなにもやることがなくなる。いままでと同じものが生産でき、人間は何もやらなくてよければまさにユートピアだがそうはならないという。

ある日突然すべての労働がAIで置き換えられたとする。その場合、ユートピアは誕生するだろう。人間は働かずとも機械が変わりに働いてくれる。人間は人生を楽しむことに注力することができる。が、実際には突然すべての仕事が置き換わることはない。数十年という期間で少しづつ少しづつ変わっていく。その置き換わっている間、運悪くAIにとってかわられた人たちは失業者またはより賃金の安い仕事に就くという状態で過ごすことになる。数十年という期間は人の一生の長さでみると長い時間だ。ユートピアが達成されるまで、その期間を気長に待てる人たちはどれくらいいるだろうか。失業をした人たちは怒り、AIの排斥運動や労働運動の活発化など政治的な混乱が生じるだろう。

現状、AIを開発で存在感を示しているのはIBMAmazonGoogleMicrosoftなどすべて米国企業だ。人間の代わりにAIが働く世界がくるとする。そのときAIが生み出した冨はどこにいくのだろうか。それらの企業ではないか。結局、AIが人間の代行をするようになったとしても、一部の技術的な優位に立つ企業や国に一方的に冨が集中するだけであり、適切に富を分配する仕組みがなければ、その他の人たちは今よりも貧困にあえぐのではないのか。そして働けない人たちが大量に発生する世の中において、適切な富の分配を行うということは資本主義経済がもっとも苦手とするところではないだろうか。このままいくとAI関連の技術を握った一部の大金持ちとその他の貧しい人たちといった構図があらゆる国で発生するのではないか。

機械がすべてを代行してくれる社会。まさに理想郷だろう。人間は生活のために働く必要はなく、毎日を楽しく生きることに集中できる。一見、素晴らしくみえる。が、そうだろうか。何のために生きてるのかとか、ぐじぐじと余計な事を考えて悩む人が増えるのではないだろうか。生活の心配をせず毎日何でもしてもいいというのは究極の自由といえるが、そのような状態がすべての人にとって幸せなのかどうかはわからない。より精神的なものに傾倒するようになり、カルト宗教にはまったり自殺をする人が増えたりするのではないだろうか。

今後AIによる自動化や自律化はどんどん進むだろう。本の中ではAIやロボットに対する課税やベーシックインカムの導入などを通して、テクノロジーと人間社会の均衡を保つ解決策も提示している。競争をベースとした社会の仕組みや人間の欲深さを考えるとなんとなく悪い方向に向かいつつあるような気もする。イーロン・マスクがAIに対する強い懸念を発表し話題になった。

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技術自体に善も悪もないと思う。思うが、利用する側の使い方しだいで人間を不幸にも幸福にもする物だと思う。AI開発の最先端の研究は軍事目的とも聞く。今後、AIは人を幸福にする用途で使われてほしい。

『岳』、『BLUE GIANT』を読んでみた

漫画を読むのが好きだ。以前は、会社の帰りや週末によく漫画喫茶に通っていた。ジュースやお菓子などは食べず、小一時間程ひたすら漫画を読む。本棚に並んでいる本をみながらどの本を読もうか考えるのが好きだった。自分なりのストレス解消法だったのだろう。今は、スマホ電子書籍を買って読んでいる。漫画喫茶にいくよりお金はかかるが場所を拘束されない。信号待ちやレジ待ちなど日常生活のちょっとした空き時間に少しづつ読みすすめられる。

BLUE GIANT』を読んでみた。正直、ジャズには興味がなく、あまり乗り気ではなかった。が、いつも面白い本を紹介してくれる知人がすすめていたので読んでみた。面白かった。なにかを好きになり、人生を賭けてとことんこだわる。そうしたことが幸せな生き方の一つの形なのだろうと感じさせてくる漫画だった。何かを好きになることは簡単だ。だがそれをとことんつきつめるのはむずかしい。日々の生活もあるし、家族など自分だけの問題ですまないこともある。そうしたしがらみを振り切ることは勇気がいるし並大抵のことではない。『BLUE GIANT』の主人公 大はサックスが好きで一日中ずっと吹いている。サックスを極めて自分の音を多くの人に聞いてもらいたいというのがその原動力だ。ただそのためだけに愚直に精進する。いやなことやうまくいかないこともあるがあきらめない。そこには打算はない。あるのは情熱だけだ。

中年期にさしかかってくると、人生は打算でしかなくなる。お金の計算とリスクを回避することが習性として身につく。何かやりたいことがあっても、お金とリスクを天秤にかけ大人の判断をしてしまう。だからこそ大のような一本気な生き方に惹かれるのだろう。中年のおじさんにとってはそういう生き方はもはやファンタジーだ(いい意味で)。

BLUE GIANT』を最新刊まで読んだ後、同じ作者の『岳』を読んだ。山岳遭難をテーマにした話だ。こちらも面白かった。山男の主人公 三歩が北アルプスの山岳地帯で遭難救助のボランティアをする。山を登るという行為は自己責任だ。高く険しい山があり、危険をかえりみずにのぼる。運がわるく遭難する人もいれば、あきらかな準備不足で遭難する人もいる。だが、なにがあっても三歩は遭難者を責めない。元気になったらまた来いという。山が好きで山を登る人も好きで、ただそのことを人生の軸として生きている。まっすぐなのだ。生き方が。収入がどうしたとか、結婚はどうするとか、そういったことは度外視だ。山登りはほとんどしたことがないが、よむと山にいきたくなる。そんな漫画だった。

統計学を勉強したくなった。

理系の科目が嫌いだった。数学・物理・化学などの科目だ。英語や歴史などと違い、どこかでつまづくとそれ以降がわからなくなる。わからないとストレスがたまり教科書や参考書から遠ざかる。いま思えば文系・理系といった不思議な区分があり、理系科目を勉強せずとも大学までは行けてしまっていた。当時は嫌いなものを勉強せずに済みラッキーなどと感じていた。感じていたが、いまは激しく後悔している。時間がたっぷりあった頃にちゃんと勉強しとけばよかったと。年を取り趣向が変わったのか経済や宇宙、コンピューターなどに興味がわく。若いころに読み漁った哲学書や文学書などは年に1冊読むかどうかだ。経済や科学などに関する本を理解しようとするとすぐに限界にぶつかる。なかには数式などを使わず、わかりやすく説明しようとしている本もある。あるが、そうしたものではさわりしかわからない。何冊読んでも表層をなぞっているような気がする。いまさらながら数学などの勉強の必要性を痛感している。

ずいぶん前から統計学について興味があった。あったが、ずっと重い腰があがらずそのままになっていた。資格の勉強もひと段落したため、最近になり真剣に取り組んでみようと思うようになった。思い立ったが吉日。取り急ぎ、よくわかる統計的な本を買って読んでみる。読んでみるが、全くわからない。Σや∫といった記号がそこかしこにでてくる。思っていたよりも10倍くらい難しく途方にくれる。もっと初心者向けの本をAmazonで探す。評判のよかった下記入門書を3冊読んでみた。いづれも数学が苦手な人向けの解説だ。

・完全独習 統計学入門 ダイヤモンド社

・意味がわかる統計学 ベレ出版

・はじめての統計学 日本経済新聞出版社

読んでみてよかった。統計が面白いと思えるところがいくつかあったからだ。興味がわく。データをまとめるだけでは退屈だ。集めたデータから結果を推測するところにその真髄がある点が伝わってきた。データを収集すると正規分布やt分布などいくつかの分布に収れんするというのも不思議だ。長い道のりになりそうだが、Σや∫を勉強して、まずは中級くらいの本に挑戦してみようかな。