無題

ときどきどうしようもなく体がだるくなることがある。起き上がることすら億劫に感じ、寝ているような起きているような半覚醒した状態で5時間も6時間も横になる。時間がもったいないという焦りは感じるが、とにかく何もしたくない。夕方ごろにのっそりとおきあがるが時間を無駄にしたというような後悔の念しか浮かばない。社会人になってからはだいぶ頻度が減ったが、それでも2~3か月に一度、なにもない土曜日や日曜日などに発生する。

働いていると人間の悪意やネガティブな感情に接することがよくある。知らないことをわかっていて聞いてくる、できないことがわかっていて依頼してくる、必要な情報をつたえない、無視をする、人前で小馬鹿にするなどだ。そうしたとき人間の底意地の悪さというものを感じ絶望的な気分になる。立ちすくむ。正直いまだにこの世の中の底意地の悪さの底がわからない。

2人以上人が集まると無意識のうちに比較がはじまる。暗黙の序列のようなものが発生し、そういったものに敏感な人は何とかして自分が優位に立とうとする。立とうとするが、しかし比較する基準(資産、学歴、容姿など)はそれこそ無限にあるわけでその競争にはきりがない。自分が他者より優れていると感じるところは強調し、他者のほうが優れていると感じるところは相手を貶める。延々とそれが繰り返される。大昔や原始的な集団であれば決闘といったより直接的な対決となるのだろう。が、学校や職場などではそうしたことは社会通念上許されていないため、よりオブラートに包んだ争いになる。より抽象的なレベルでのいがみ合い言い争い。そうした争いに熱意をもって取り組めるひとがうらやましい。面倒くさくなってしまうからだ。

自分も他者の中に自分より優れたものをみると嫉妬や悪意などが芽生えることがある。そうした感情を自分の中にみつけると心底嫌になり、人との関係をもつことが億劫になる。本来であればそうした感情を原動力として追いつこうと努力するのがあるべき姿なのだろう。なのだろうが、そうした競争が面倒だ。

お互いに意識しあいながらそうしたものは微塵も感じさせずに仲良さそうにふるまっている(少なくともそのようにみえる)人たちがいる。お互いの腹の底にはいっさい触れず、その場その場の状況で人との距離感を適度にとり笑顔と軽やかな話題で場をつなぐ。そういったことが自分にはできない。なにかこう演技をしているような気がして、ぎこちなくなってしまうからだ。左手で握手をしながら右手で殴り合う。そういう器用さが生きていく上では必要なのだろうか。