『日本の税金(新版)』を読んでみて

電車や横断歩道の待ち時間などちょっとした空き時間がある。そういうときiPhoneにいれたKindleで文庫や新書を読むのが習慣になっている。細切れの時間なのですこし考え込むようなものは読めない。が、ちょっとした小説やビジネス書を読むのには最適な時間だ。

US CPAの勉強をして以来、会計や税金に興味がわくようになった。そのせいか本屋やAmazonで最近はやたらと会計や財務の本が気になる。数年前までは目にも留めなかった本ばかりだ。たとえ視界に入っても自分の興味のあるもしか見えないというのは本当だと思う。

Amazonで『日本の税金』(岩波新書)という本を見つけ読んでみた。所得税法人税、消費税、相続税などが簡潔に説明されていて面白かった。各税が課される根拠を説明しつつ著者の思いも述べられている。いままで税金というものは問答無用で取り立てられる年貢のようなイメージだった。日本人である以上のがれらないルール。本当は払いたくないが払わないといけない厄介なもの。そのため税金や税に関するものは嫌なもの忌み嫌うものという感覚だった。この本ではそうではないというメッセージが全体と通して込められている。税はお上に取り立てられるものではない。主権者である国民が理想の社会を実現するために支払い能力に応じて主体的に分担するものであり、むしろ積極的に関わっていくものというメッセージだ。国民によって国や地方自治体に税金が預けられ、国民が選択した代表者がその理念に基いて執行する。それは何かこうアンタッチャブルな消極的に徴収されるものではない。よく考えると税というのはそれこそ毎日のように身の回りで発生している。自販機でジュースを買っても、電車に乗っても、住む場所にだって税はかかる。にもかかわらず、私もそうだが税金の仕組みについてよく知っている人は少ない。わけもわからないまま知らないうちにとられている。しかもその使い道はよくわかない。税金を徴収する側にとってはとても都合のいい制度だ。今後、人口構造の変化などを受け日本の社会保障制度やさまざまな仕組みは正念場を迎えるといわれている。税金が減ったとか増えたとかいう話に終始するのではなく、収めた税金がどのように利用されているのかが重要になってくるのだろう。増税が社会全体にとって必要なことに拠出されるのであればそれなりに意味もある。わけもわからず減税し、治安が悪くなったり街が汚くなったり十分な行政サービスが受けられなくなれば、個々人の手元に残るお金は増えるだろうが、それは住みやすさや社会の健全性を犠牲にしたものだ。それでいいのだろうか。増税した場合もわけのわからない人たちがわけのわからないことに浪費するのであれば最悪だ。いづれにしろそうしたことを国民が監視するために選挙制度で代表者を選ぶわけで、選挙で投票するというのは思った以上に大事なことなのかもしれない。

税金もそうだが、選挙制度や国家の仕組みなど、お上の権力にかかわるようなものについては十分な教育を受けた記憶がない。小学生や中学生の段階で税金の目的や選挙制度、国民の主権についてもっとまじめに教える必要があるような気もする。結局お金をとられるのも、変な政策で苦しむのも自分たち自身なのだから。もし意図的にそうした情報に対して国民を無関心にしようとしているのならば質が悪い。そうでないことを祈る。

あと興味深かったのが地球レベルでの税の話だ。日本国民の税金の支払いを規定する日本の法律は当然ながら日本でしか効力をもたない。だが人や物は国境をやすやすと越えて行き来する。そうなるとより高い税金を課される場所から企業や個人が逃げ、より安い税金のところに集まるようになる。個人や企業レベルではいかに資産や利益を最大化するかを考えればいいのだろう。ただ、国家レベルでは資産や利益を最大にすることが目的ではなく、国民の生活の安全や幸福をどう実現するかが課題となる。日本人や日本の企業が個々の利益を優先し、違う国に税金を払い始めたらどうなるだろう。もはや国はなりたたず、国家そのものが消滅するかもしれない。それはそれで地球連邦のような大きな枠組みで税を考えるようになり、地球全体の安全や幸福を考えるようになるのだろうか。そうなると日本のような小さな国はどういう扱いになってしまうのだろう。税というものが国家レベルのみならず地球規模でも考える必要があるものという点もよくわかった。