『仕事消滅』(講談社)を読んでみた。

いつの頃からだろう。家にいるとき、簡単な計算やタイマーの設定はiPhoneのSiriに頼むようになった。電卓をたたくよりも、目覚ましのタイマーの設定をするよりも、Siriに話しかけて依頼するほうが楽だからだ。私の声は聞き取りにくいとよく言われるが、そんな私の声でささやいても十分な精度で認識してくれる。最近ではMicrosoft音声認識が人間と同等の認識率になったとの話も聞く。 

IBMのWatoson、AmazonのAlexa、GoogleGoogle Now、MicrosoftのCortana、これらのバーチャルアシスタント(AI)とよばれるものが、スマホや家電に搭載され非常に身近になりつつある。人間と違い、スマホや家電に限らずありとあらゆる乗り物・機械に搭載可能なわけでその影響力は計り知れない。

『仕事消滅 AI時代を生き抜くために、いま私たちにできること』(講談社)では、AIによるイノベーションが多くの職場から仕事を奪い、大きな政治・経済・社会問題になるであろう未来を予想している。単純労働だけでなく頭脳労働もAIにとってかわられ、人間はなにもやることがなくなる。いままでと同じものが生産でき、人間は何もやらなくてよければまさにユートピアだがそうはならないという。

ある日突然すべての労働がAIで置き換えられたとする。その場合、ユートピアは誕生するだろう。人間は働かずとも機械が変わりに働いてくれる。人間は人生を楽しむことに注力することができる。が、実際には突然すべての仕事が置き換わることはない。数十年という期間で少しづつ少しづつ変わっていく。その置き換わっている間、運悪くAIにとってかわられた人たちは失業者またはより賃金の安い仕事に就くという状態で過ごすことになる。数十年という期間は人の一生の長さでみると長い時間だ。ユートピアが達成されるまで、その期間を気長に待てる人たちはどれくらいいるだろうか。失業をした人たちは怒り、AIの排斥運動や労働運動の活発化など政治的な混乱が生じるだろう。

現状、AIを開発で存在感を示しているのはIBMAmazonGoogleMicrosoftなどすべて米国企業だ。人間の代わりにAIが働く世界がくるとする。そのときAIが生み出した冨はどこにいくのだろうか。それらの企業ではないか。結局、AIが人間の代行をするようになったとしても、一部の技術的な優位に立つ企業や国に一方的に冨が集中するだけであり、適切に富を分配する仕組みがなければ、その他の人たちは今よりも貧困にあえぐのではないのか。そして働けない人たちが大量に発生する世の中において、適切な富の分配を行うということは資本主義経済がもっとも苦手とするところではないだろうか。このままいくとAI関連の技術を握った一部の大金持ちとその他の貧しい人たちといった構図があらゆる国で発生するのではないか。

機械がすべてを代行してくれる社会。まさに理想郷だろう。人間は生活のために働く必要はなく、毎日を楽しく生きることに集中できる。一見、素晴らしくみえる。が、そうだろうか。何のために生きてるのかとか、ぐじぐじと余計な事を考えて悩む人が増えるのではないだろうか。生活の心配をせず毎日何でもしてもいいというのは究極の自由といえるが、そのような状態がすべての人にとって幸せなのかどうかはわからない。より精神的なものに傾倒するようになり、カルト宗教にはまったり自殺をする人が増えたりするのではないだろうか。

今後AIによる自動化や自律化はどんどん進むだろう。本の中ではAIやロボットに対する課税やベーシックインカムの導入などを通して、テクノロジーと人間社会の均衡を保つ解決策も提示している。競争をベースとした社会の仕組みや人間の欲深さを考えるとなんとなく悪い方向に向かいつつあるような気もする。イーロン・マスクがAIに対する強い懸念を発表し話題になった。

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技術自体に善も悪もないと思う。思うが、利用する側の使い方しだいで人間を不幸にも幸福にもする物だと思う。AI開発の最先端の研究は軍事目的とも聞く。今後、AIは人を幸福にする用途で使われてほしい。