『東大卒貧困ワーカー』(新潮新書)を読んでみて。

ときどき頭痛がすることがある。目の奥がずきずきと痛む。激しい痛みではなく、鈍い痛みだ。仕事には集中できず、本を読むと頭痛がひどくなる。なにもできず、ただ時間が過ぎるのをまつ。頭痛薬は痛みを軽減するが、体がだるく頭がぼーとするようになる。ただ時間がすぎるのをまつ。それが地味につらい。

『東大卒貧困ワーカー』(新潮新書)を読んだ。Amazonで最初に見つけたとき、タイトルから興味本位な露悪的なものを感じ、最初は読むのを躊躇した。躊躇したが、サンプルを10ページほど読んだあと最後まで読みたくなった。東京大学を卒業し、アナウンサーとして活躍されていた著者が、身内の介護のために会社を退職。介護がひと段落した後、社会に復帰しようとした際に直面したさまざまな辛酸を、著者が調査・見聞きした事例をまじえ解説している。一言でいってショッキングだった。介護や病気、リストラなどで会社をやめ、新たな職を探すということは普通にありうる。そうしたときに身に降りかかる苦難は想像はできた。できたが、労働市場における中高年の扱いがこれほどまでに苛烈なものであるとは思っていなかった。年をとればとるほど、学歴や前職での経歴、肩書は通用しなくなり、最低賃金以下の待遇で単純作業を強いられる。労働市場には暗黙の了解として年齢による差別は存在し、中高年は中高年という理由により差別的な扱いをうける。作業時間はストップウォッチではかられ、少しでももたつくと子供ほども年齢のはなれた若者に「こいつ、使えないなあ」などといわれたり、娘のような作業監督者に嫌味を言われたりする。そこまでして働いても交通費などを差し引いて手にできる賃金は1時間あたり800円とか900円だ。

 ひるがえって自分のことを考えてみる。自分ももう中年だ。なんらかの事情で会社を辞めた場合、同じような境遇になるだろう。人は年齢とともに体も弱り、病気にもなりやすくなる。親族の介護や子供の教育費、家のローンなどしがらみも増える。記憶力や頭の回転も悪くなるだろう。そうした肉体的・社会的なハンデが増えるにつれ、社会からのサポートが増えるのではなく、逆に社会からの風当たりが強くなる。なんとも空恐ろしい事実だ。このような仕組みであれば経験豊富な中高年ほど、現在の職場に長くしがみつこうとするだろう。ポジションの確保という会社にとって何の生産性もない活動にベテラン社員の注力がそそがれ、転職はリスクが高すぎてできない。無駄な仕事は増え、人材は流動化せず、非正規社員は差別されたまま。若者は希望をなくし国の活力はなくなっていく。負のスパイラルだ。このような状態では同一労働同一賃金、働き方改革などは不可能だ。

中高年が差別される → 会社にしがみつく → 非正規雇用・非生産的な職場が増える → 若者がやる気をなくす → 職場に活力がなくなり新しいアイデアがでない → よその国で生まれた革新的な技術にプラットフォームを握られる → よその国の下請け仕事が増える → 国力がなくなり国全体が貧しくなる → 低賃金のきつい仕事が非正規や中高年に押し付けられる  → ますます中高年が差別される 

現在、このような負のスパイラルがぐるぐるまわっているのではないだろうか。この流れを断ち切るには、本書でも触れていたが、日本人の性質を変える必要があるのかもしれない。過剰品質、過剰なおもてなしをやめ、本当に付加価値のあるものに日本人全体の労働力を振り向ける。24時間、コンビニやレストランを開けておく必要はない。注文をしても即日配達する必要もない。お客様は神様ではなく、支払う対価に見合ったサービスを提供すればいい。過剰なおもてなしに神経をすり減らす必要はない。そうしてできた時間を新しい働き方を創造する時間に振り向ける。

新しい働き方は、技術革新とセットで考える必要があると思う。コンビニやレストランを24時間営業する必要があるのであればロボットによる無人店舗でやればいい。即日配達が必要なものはドローンや自動運転車が配達すればいい。毎朝満員電車に乗るのではなく家で働けるようにすればいい。人間は、そのような社会を構築することに当面集中する。ロボットや機械に指示をだすのに年齢はあまり関係ない、家で働ければ女性も今より働きやすくなる。生産される価値は変わらないか今より増えるが、労働時間は減り支払われる対価は増える。そんな社会を目指せばいいと思う。